
崇福寺
本堂には「血天井」があります。これは、信長公の孫織田秀信が慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍石田三成に加担したため、東軍の猛撃にあい岐阜城は落城しましたが、この時戦死した将兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板を、本堂の天井に張られたものです。今でも鎖かたびらや鎧ひだたれの血痕が付着しているのが見られます。
また、「心頭を滅却すれば火も自ずから凉し」と言ったことで有名な快川紹喜が住職を努めたこともある由緒あるお寺で、堂内には貴重な資料が展示されているほか、きれいに手入れされた庭では、秋にはドウダンツツジの紅葉が見られます。
毎年10月第一土曜日のぎふ信長まつりの日に「織田信長公追悼式」が営まれ、まつりの2日間は無料開放されます。
●織田信長父子廟・・・岐阜市指定史跡
●独秀和尚像、斎藤利匡像・・・国重要美術品
●非情成仏絵巻・・・岐阜市指定重要文化財