
聖武天皇の時代に大仏の鋳造が計画され、家臣の一人が命を受け優秀な仏師を捜して全国を旅していました。願成寺を参詣したところ、夢に観世音菩薩が現れて「明日、西に向かって行け。そこで会った童子(子供)が大仏を造るのに必要な人材だ」と告げられました。翌朝お告げのとおり西に向かって歩いて行くと、川で牛に水を飲ませている童子に会いました。そこで用件を告げると、童子は黙って河原に大仏の絵を描きました。この童子のような男が「日野金丸」という仏像の鋳造師だったのです。日野金丸は都に行き無事大仏を完成させました。彼の功績により聖武天皇から命じられた僧行基が七堂伽藍を造営したと伝えられています。
その後度重なる兵火にあい伽藍のほとんどは焼失してしまいました。
しかし仏像などは戦火を免れ現在も十一面観世音菩薩立像をはじめ金剛力士立像など多くの文化財が残されています。
●中将姫誓願ザクラ・・・国指定天然記念物
●木造金剛力士立像・・・岐阜県指定重要文化財
●木造十一面観音立像・・・岐阜県指定重要文化財
●木造大日如来坐像・・・岐阜県指定重要文化財 他