2007年11月16日(金)

10.信長の楽市楽座令

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楽市楽座制札(永禄10年)円徳寺所蔵

 岐阜町の繁栄は、信長の楽市楽座令の経済効果によるものでした。では、楽市楽座令とはどのような内容のものであったのでしょうか。
 もともと、楽市楽座は16世紀の中ごろから17世紀はじめにかけて、戦国大名が戦乱で荒廃した市場の復興、また新設市場・新城下町の繁栄を目的に出したものです。
 信長が、岐阜入城の年1567年(永禄10年)10月に出した加納楽市場の「定(さだめ)」は、主に以下の三項目からなっています。
@楽市場住人は関銭(せきぜに・関所の通行税)など免除の自由通行権を持つ
A市場内では市場外での債権、債務関係が消滅し、課税・労役を免除する
B市場内へ「使」(警察権力)の介入は認めない
 そのほかに、売り手が望まないのに無理に買い取る押買(おしがい)、乱暴、けんか、口論の禁止や、市場内の平和維持を目的とした「宿とり非分」を規制する(無理やり宿泊させるよう迫ることを禁止する)内容もみられます。
 これらの項目は、加納楽市場が今まで楽(自由)の市場として保持してきた社会的特権を、新しい領主として信長が保障し、承認したものです。俗世間から切り離された「無縁の原理」の世界で、駆け込み寺と同じ縁切りの性格を持っています。
 楽市場が開かれた場所は、神仏の支配する所が多く、加納楽市場は、円徳寺寺内町(岐阜市)といわれます。現在の円徳寺ではなく、長旗(岐阜市)にあった浄泉坊(円徳寺の前身)寺内町です。
 現在、信長の「楽市場定(らくいちばさだめ)」の制札(せいさつ・円徳寺所蔵)は、岐阜市歴史博物館の保管になっていますが、制札の裏には支柱に制札を取り付けた穴と跡が確認されます。
 信長は翌年(1568年・永禄11年)9月にも「加納市場」へ楽市楽座の「定」を出しました。内容は前年とほとんど同じですが、「楽市楽座のうえ商売すべき事」という文言がみられます。
 現在、楽市場(加納市場)に目印として植えられた榎(えのき)や市(いち)繁栄のため祭られた市神(いちがみ)が若宮町通り(岐阜市)に残っており、信長時代の繁栄がしのばれます。

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【楽市楽座制札(永禄11年)】円徳寺所蔵

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【御園の榎】
楽市場の目印として植えられた榎。
榎は、江戸時代に枯木となり植えなおされ、明治に入り道路改修工事のため現在の位置へ移植されました。

Posted by 岐阜観光コンベンション協会 at 12時00分

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