2007年11月19日(月)

9.「麟象」花押・「天下布武」印章

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麟象花押(岐阜市史)

 信長が1567年・1568年(永禄10年・11年)、岐阜城下繁栄のために発給した有名な「楽市楽座」の制札には、麒麟(きりん)の「麟」の字をかたどった花押(かおう・自署の下に書く判)が書かれています。
 麒麟は、古代中国の想像上の動物で、天下泰平の世にしか姿を見せないと言われるものです。この花押を信長が用いたことは、将軍足利氏に代わり、自らの実力によって乱れた天下を平定しようとする願望があることを明確にしたものです。
 また、信長は1567年(永禄10年)11月から発給した文書に有名な「天下布武」の印章を使い始めました。この印文は禅僧の沢彦宗恩(たくげんそうおん・尾張政秀寺の住職)に選ばせたもので、信長の武力統一による抱負を現わしています。
 「武」という漢字は、古代中国 楚(そ)の荘王(しょうおう)が、「そもそも【武】とは、戦功を固めて戦争をやめるのである。したがって【止=とどめる】と【戈(ほこ)=戦争】から【武】はつくられる」(春秋左氏伝)と言ったといわれており、戦争抑止力という意味を持っています。
 さらに、「井ノ口」から【岐阜】への改称も信長自らの覚悟を表したものです。
 稲葉山城へ入場した信長は、「天下布武」の印文を選定した禅僧沢彦(*注)に「井ノ口は城の名前が悪い」と別の名称を選ばせました。【政秀寺古記】によると、沢彦は、「岐阜」・「岐陽(ぎよう)」・「岐山(ぎざん)」の三つを示し、その中から信長は【岐阜】に決定しました。そして「祝語(しゅくご)はないか」と問うと、沢彦は「古代中国の周(しゅう)王朝は【岐山】の麓から起こり、中国全土を平定しました」という故事を披露しました。信長は大変喜んで、沢彦に多くの褒美を与えた、と記しています。
 信長の天下統一事業にかける意気込みがうかがわれます。

(*注)沢彦ではなく、栢堂との説もあります。

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織田信長朱印状(岐阜県歴史資料館蔵)


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織田信長黒印状(岐阜県歴史資料館蔵)


Posted by 岐阜観光コンベンション協会 at 12時00分

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